お侍様 小劇場
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   “とある真夏のサプライズ♪” 〜寵猫抄より


       




 住宅街の朝は、いつも通りの穏やかな静けさに満ちており。時折、向こうの通りを行くのだろうスクーターの音やら、窓を開けておいでのお宅があるのか、テレビからのだろCMなどが聞こえて来るくらい。勤めに出る人や学校に通う世代の子らが全くいないではないが、微妙に住人の年齢層が高い土地なため。平日だろうが休日だろうが、朝だろうが晩だろうが、平均して静かな佇まいのご町内であり。よってさほどに声を張り上げなくとも、耳のいい猫には届くはず。

 「久蔵〜、出ておいで〜。」

 家の中を捜していたときにも ちらと七郎次が疑ったのは、時々勝手に隠れんぼを仕掛けて来るという悪戯もしないではない子だったということで。名前を呼んでもわざとに返事をしないで隠れ通し、おかしいなと出発点だったリビングに戻って来ると、最初から此処にいましたと言わんばかりの澄まし顔で、おっ母様を待っているという代物だが。それを言うなら、七郎次が苦手とするアレが出て来て困っておれば、名を呼ぶ前からすっ飛んでくるような勘のいい子でもあったから。今そうしているように、遊びじゃないぞ、心配して呼んでるんだぞという呼びかけへ、ここまでの聞こえない振りはしなかろう。

 “起きぬけにいきなり、そんな悪ふざけをしたことはなかったしな。”

 よほど早く起きて退屈だった、一通り一人遊びをし尽くしていたとかいうなら判らぬが。昨夜は花火見物に出たことで、ほんの少し夜更かししたようなもの。勘兵衛は“興奮して思わぬ時間に目が覚めたのかも”と言ってはいたが、寝坊こそすれ早く起きてしまうなんて、普通、子供にはあり得ないことじゃあなかろうか。

 “…まあ、普通というのを当てはめにくい子ではあるが。”

 あの愛らしい姿が他の人には仔猫にしか見えないなんてと、今更ながらに口惜しい想いがし。少なくとも人の子ならば、いなくなったことへと一大事だと慌てているのへ、同じ理解を誰であれ寄せてもくれように。それより手前の話として、同じように可愛らしくとも、だからとひょいと連れ去る不心得者が出るやも知れぬ…なんてこと、すぐさま案じはしないのに。口惜しいこと残念なことばかりが浮かんでは、七郎次の胸の底をぎゅうぎゅうと締めつける。それを振り払うように“久蔵”と名を呼べば、別な猫がササッと塀の上を渡ってゆくのが目に入りもし、

 “そういえば…。”

 こうして屋敷の外へと探しに出たものの、七郎次が買い物に連れてく格好での外出はしても、一人で敷地の外へまで出てったことはない久蔵なのではなかろうか。仔猫としての久蔵は、まだまだ…というか いつまでも、生後から日の浅い姿の小さな小さな仔に過ぎず、そんなでは大人猫たちの縄張り争いにも勝てようはずがないのでは。

 “でも、だったら怖い想いをしてるんじゃなかろうか。”

 結局は もうもうと気を揉む結論しか出ず、お顔の晴れないまま、路地を覗いたり塀の上を見やったりを続けるしかなくて。とはいえ、自分たちが手元で育てるようになって以降、ハッとするほどの大きな激変はないながら、それでもどんどんとその行動力が伸びている腕白さんには違いなく。これまでにも、幾度となく迷子になっちゃあハラハラさせられたものだった。そういう言い方もどうかと思うが、座敷猫にはあるまじきほど頻繁に迷子になる割に、必ず誰かが見つけてくれて、こちらへ連絡を入れて下さる“運のいい子”でもあったこと、ぼんやりと思い出した七郎次が、それと同時に はたと…閃くように思い出したのが、

 “…そうだ、首輪。”

 そういえば前夜は、打ち上げ花火を見に行くという夜中の外出を楽しんでおり。車中からの見物とはいえ、どんな拍子で外へ飛び出すやも知れぬとの警戒から、一応はリードをしていたがため、外出用の柔らかな素材の首輪を装備していた久蔵で。無論、帰宅後は外してやるつもりだったのだが、遅い時刻まで掛かったせいか帰路の途中で沈没してしまった仔猫様だったので。首回りをこしょこしょと触ることで起こすのも忍びないと、そのままにして寝かせたんじゃあなかったか。

 “だったら…。”

 それも無理から攫われたのなら意味をなさない代物だけれど。もしかして、単なるお出掛けと迷子という、相変わらずなコンボの末での失踪なのなら(おいおい)、おやと見かけた親切なお人が連絡入れて下さるやも知れない。あくまでも“迷子だったら”という前提の話ではあるが、悪いほう悪いほうに考えてはダメだと、でも…と否定しかかった自身ごと揺さぶるように ぶんぶんとかぶりを振って杞憂を追い払い、ポケットに突っ込んで来た携帯電話を白い手が引っ張り出している。

 “こっちからも何か手が打てる方法ってないのかなぁ。”

 首輪に取り付けた小さなプレート。そこへと刻んだ電話番号へ、誰かが知らせてくださるまでを待つしかないのが また焦れったい。あまりに小さいので見づらいかもしれないし、何か刻んであるなんて気づかれもしない公算の方が高いかも…と、またぞろ不安が高まって来て。ただただ待つより何かして打って出たいと思うのも、小さな子供を案じるあまりのことなのだろが。こちらからも何か発信出来るようにするとか、ああそういえば本人の身へ、GPS対応の小さな小さなカプセルを埋める手があると聞いたことがある。ナノ技術の発達により、カプセルといっても本当に本当に小さなものを使うので、予防接種の折の注射くらいの負担しかかからないとかで。でもでも、そういうのはちょっと…そこまで縛るのもどうかなぁと、ウチには縁のない話だとし、失笑して終しまいになった話題じゃあなかったか…などなどと。何か思っていなければやり切れないか、足は止めぬままながら、胸の内にて そういったやくたいもない想いをぐるぐると巡らせておれば、

 「………っ。」

 そんな念じが通じたか、携帯が手の中でぶるると唸り始めたものだから。あれほど連絡を待ってたはずが、なのにハッとし、慌てすぎての震える手で…それでも何とか二つ折りになっていた液晶部を開ける七郎次であり。
「も、もしもしっ!」
 ああ、相手の番号を確かめなかったな。勘兵衛様からの連絡かもしれないと、出てから思ったそれと同時に、

 【 にゃあにゃっ。】

 耳へと飛び込んで来たその声こそ、ずっとずっと待ち焦がれていた愛らしい声じゃあありませぬか。短い一声の後へすぐさまかぶさったのが、
【 あ・こら。】
 割と若いらしい人物のそんなお声であり。そのまま かさこそ・ざわさわと電話口でもめてでもいるかのような音が響いたのへと、

 「あの…っ。」

 こちらからも呼びかけ掛かれば、

 【 あ、すいません。
  あの、ウチでキュウゾウって名札がついた仔猫を預かっているんですが。】

 あ・いやいや、正確には首輪に名札がついてる子ですと律義にも言い直したお声は、やっぱり若い男性、いやさ まだ十代だろう男の子のようであり。

 【 えっと、茶色? キャラメルみたいな色の子で、
  まだ随分と小さいみたいですが、物おじもしてなくて凄っごい元気です。
  勝手にどうかとも思ったけど、
  ご飯にってハムとか出したらぱくぱくって食べてくれたし。】

 「あ……。/////////」

 何とも要領を得た口調で、一番に知りたかったことをまずはと知らせてくれたのがありがたい。強ばっていた背中や肩が、懸念が氷解してゆくのに合わせ、ふわりと緩んで楽になるのがありありと判る。そうこうするうちにも、こちらの気配がそれなりに伝わるものなのか、それともさっきの第一声がした機械だと、携帯か受話器かへの関心が拭えぬか、

 【 にゃあみゃっ、みゃみゃっ!】

 またまた仔猫のお声がしたのが、ああ間違いないと七郎次の胸を締め上げる。微妙に感極まってしまっている そんな彼の耳へと、お前凄げぇなぁとか、さっきの少年の声が聞こえて来て。それからそれから、

 【 お電話代わりました。】
 「あ、はははいっ。」

 不意に、今度は大人の男性の声がした。少し低くて、響きもよくて。落ち着きのある口調がよく似合っており、折り目正しい物言いへ、七郎次もまた意識が正され、

 【 こちらに書かれた番号へお電話差し上げたのですが、どうします?
  何でしたら、こちらからお宅まで連れてってもいいのですが。】

 「あ、えとえっと。
  いえあの、そちら様にご迷惑でなければ、迎えに伺います。」

 わざわざそちらから訊いてくださったのは、迷子になった時のためとして、自宅ではない連絡先番号を用意していたこちらの事情を慮ってくださったからだろう。誰も彼もが、やたらと人を詮索したり他人の領域へ勝手に土足で上がってくる人ばかりじゃあなし、そこまでせんでもと勘兵衛も言ってはいたのだが。万が一にも…有名作家の島田せんせいだと知られて、何かしら勘違いをしてしまったお相手から、やたらな詮索や接近を図られたらどうしますかと。知人の編集の人から、世間知らずにも程がありますとのクギを刺されての対策だったのであり。そして、こたびのこのお相手さんはお相手さんで、そんな対策をしいておいでということは、自宅も知られたくない人なんじゃなかろうかと、先んじて気を回してくださったに違いない。今時の配慮というものをしっかと心得たお人らしいなとの認識も新たに、

 「失礼でなければ、そちら様のお宅をお教え願えますか?
  それとも、どこかで待ち合わせということになりましても…。」

 このやり取りで少しは落ち着いて来たようで、こちらからもと心遣いをしいた言いようを返したところ、いや構いませんよとすんなりお教えくださった在所というのが、

 “うあ、結構遠いぞ。”

 都内でこそあったが、仔猫の散歩ではおっつかないだろう距離であり。これはやっぱり、何者かに連れ出されてしまったということなのだろか。その先からは何とか逃げ出せたものの、車での移動とかいう距離的障害が挟まって、自力では帰れなくなった久蔵だったのかも。

 「…それではお伺い致します。」

 逸る気持ちを抑えつつ、ご挨拶を終えるとすぐにも自宅のほうへと取って返す。勘兵衛への報告も電話をするより駆け戻った方がずんと早いし、それより何より大急ぎで迎えの車を出さねばならないからで。そうそう何か手土産も買わねば、勘兵衛様は文句なしのお盆休みだからついて来てくださるかしら、などなどと。今度は至って前向きなことをばかり、その胸の内にてぐるぐると思い始めた、金髪碧眼の敏腕秘書殿。一端の大人がご町内を駆け出すとは、時代によっちゃあ はしたないことではあったれど、足早に駆けてく颯爽とした様子はなかなかに凛々しく清々しくて。窓から見ていた若奥様などが、あらあらとわざわざ首を伸ばして後ろ姿を追ったほど。それでも本人には もどかしくてならなかったらしく。そしてそして、

 「……おやおや。」

 こちら様もまた、実はもどかしかったか。玄関ポーチの前へまで出て来ていた勘兵衛へ、吉報があったと一目で知らしめたようであり。それは落ち着きある風貌した壮年殿を、その様相だけでひとしきり苦笑させたのであった。









    



 盛夏の朝の黎明の名残りを突き破り、いきなり沸き立った妖かしの気配ではあったれど。方角によっては捨て置いていいということに、最近になって気がついた。シモツキ神社より向こうの、此処よりも海に近い側の土地のことなれば。そして何より、こちらへの侵食の気配のない代物であるのなら、下手をうてば“手の鳴るほうへ”と招くことにもなりかねぬから、放っておいた方がいい。どうやらそちら側には、自分たちとは成り立ちこそ違えど、同じような目的を持つ、しかもたいそう腕のいい大妖狩りがいるらしく。人に仇なす邪妖のすべて、自然発生したものも人の怨嗟が招いたものも、片っ端から滅殺し封印しているらしいので。自分たちは出る幕はないと……言っておいたはずなのだが。

 《 あんの馬鹿やろが。》

 邪妖の出現よりも、そやつが穹を翔っていった気配にこそ、叩き起こされて飛び出した兵庫であり。首元へ真っ赤なチョーカーまとわせての出撃は、間違いなく…寝ぼけていやった彼かと思われ。これが更夜のことであるなら、月夜見の御力を借りてのこと、夜陰の中に道を見い出し、ほんの瞬きする間にも追いつけたが、

 「兵庫さん? ご飯ですよ?」

 駆け出し掛かったその出端を挫くよに、この家の女主人が嫋やかなお声を掛けて来たものだから。しまったこれは順を踏まねば出てゆけぬと、いやな汗をかいてしまった彼であり。運びを簡潔に言うならば、簡単な暗示で処理すりゃあ済むということではあるものの。相手の眸を見て暗示の咒をかけるところに持ってゆくまでに、微妙な“次第”を設けにゃならぬ。今日も今日で、塀の上から降り立って、おいでなさいよと彼女が立っていた濡れ縁へ飛び上がり直してから、にぁんと声を掛けもって見上げれば、

 「あらあら、なぁに? 何かお話?」

 目許をたわめ、ほほと軽やかに微笑って、だが。飼い猫である兵庫の前へ、ちょこりと正座をし、真っ向から向かい合ってくださる雪乃殿は。相も変わらず…自分らのこと、どこまで知っていて どこからは知らない御仁であるやらなので。背条にこそばゆい何かを感じつつの仕儀となるのが、何とも居心地悪いったらなくて。特に悪さを構えている訳でもないのに、騙し討ちを掛けるようで気が引けるったらありゃしなく。


  “……久蔵め、この貸しは大きいぞ。”


 あやや、こちらにもご迷惑掛けてますよ、仔猫様。
(苦笑)




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  *お久し振りの兵庫さんと雪乃さんでございますvv
   つまりはそういう経緯があって、
   起きぬけのまま飛び出してった久蔵さんだったらしいです。
   前夜の花火見物で思ってた以上に興奮してたのかもですね。

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